小泉八雲『鏡と鐘』の壺には何が?鐘を捨てた後も続く話を原文で読もう

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鏡を寄付した女の未練が、鐘に残った。そう聞くと、夜中に鐘が勝手に鳴る話かな、と想像しない?

小泉八雲の『鏡と鐘』は、少し違う方へ進みます。鐘が鳴り続けるのは、生きている人たちが、ある見返りを求めて何度もつくから。そして、鐘が処分されても、物語はまだ終わらないんだ。

最後に出てくる壺の中身は何なのか。先に答えると、英語本文は具体的な名前を言わず、語り手が説明を止めます。物の正体だけを当てにいくより、どうしてそこまで富を求める話になったのかを追うと、この終わり方が面白くなるよ。

以下は女性の死を含む筋と、結末までを扱います。参照するのは1904年の『Kwaidan』に収められた英語本文。現代の邦訳から文章を写すのではなく、場面の順番を自分の言葉で整理し、読みどころを話していきます。

目次

溶けなかった鏡の前に、返してほしいと言えない女がいる

話の始まりは、遠江の無間山で寺の大きな鐘を造ろうとするところです。僧たちは、鐘の材料にするため、古い青銅の鏡を女性たちから集めます。Project Gutenbergで公開されている原文の「OF A MIRROR AND A BELL」で読めます。

その一人に、農家の若い妻がいました。女は鏡を寄付した後で、手放したことを悔やみます。ただ、きれいな道具が惜しくなった、という説明だけではないんだ。

母から受け継いだ鏡で、さらに前の世代から家に伝わっていた。女は母が話してくれたことや、その鏡に映った幸せな笑顔を思い出します。裏側には松竹梅の飾りがあり、幼いころ母に見せてもらった記憶とも結びついています。

ここ、先に知っておくと見え方が変わるよね。ほかのたくさんの鏡と一緒に積まれても、女には自分の一枚が分かる。材料の山の中に、家の記憶が一つ混ざっているんだ。

お金を代わりに納められれば返してほしいと頼めるのに、そのお金もありません。寺へ行くたび、柵の向こうに鏡が見える。取り戻したくても機会がなく、そのつらさを人に話すこともできない。怪異が起こる前に、手放した物を見続ける時間があるんです。

だから、溶けない鏡が出たところだけをあらすじとして覚えると、女がどこで立ち止まっていたかを読み落とします。目の前にあるのに戻せないこと、言葉にできないこと。その二つが、後の出来事へつながっているよ。

集めた鏡を鋳造所へ送ると、一枚だけがどうしても溶けません。何度試しても残る鏡について、語りは寄付を後悔した心と結びつけます。そして、誰の鏡なのかが周囲に知られ、女は恥と怒りを抱え、書き置きを残して命を絶ちます。

この場面を、執着した女が悪かったから、とだけ片づけたくはありません。女の内側にあった後悔が、人々に知られることで追い詰められる話としても読めるからです。これは本文の出来事を並べて読むときの視点で、作者の唯一の結論だと断定するものではないよ。

書き置きには、自分の死後は鏡を溶かして鐘を造れること、そして、その鐘をついて壊した人に、自分の霊が大きな富を与えるという約束が記されています。ここで初めて、鏡を返してほしかった気持ちが、鐘を壊す人へ向けた言葉へ変わるんだ。

紹介する南條竹則訳の『怪談』は、光文社古典新訳文庫の一冊で、出版社の目次に『鏡と鐘』が載っています。女が鏡を見に行く場面から順に読みたいなら、短いあらすじだけでなく、収録された本文へ戻る一冊として選べるよ。

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鐘を鳴らす人は幽霊ではなく、富を求めて集まった人々だった

女の死後、鏡は溶け、鐘が出来上がります。そこで静かになれば、この話も一つの結末になりそうだよね。

ところが、人々は書き置きの約束を覚えています。鐘を壊せば富を得られると考え、寺に押しかけて、力いっぱい鐘をつき始めるんだ。

ああ、そういう鳴り方なのか。

何者かが夜の闇で鳴らす怪音を想像していたなら、ここは面白いずれです。実際に鐘を鳴らす人がいて、その人たちには理由がある。恐ろしい約束のはずなのに、近づかないより、壊せるまで鳴らそうという行動になっています。

しかも、鐘は丈夫で、なかなか壊れません。僧たちが抗議しても、人々はやめず、日ごとに、時を選ばず鳴らし続けます。寺のために造った鐘が、寺にとって耐えがたいものへ変わってしまうんだ。

最初の鏡の持ち主は、思い出のある物を返してほしいと言えなかった。後から来る人々は、富が欲しいという理由で、寺の抗議を気にせず鳴らす。この二つを並べてみると、誰の願いが表に出せるのか、という違いも見えてきます。

もちろん、群衆の一人ひとりの内面まで本文が詳しく語っているわけではありません。ただ、鏡の一枚を惜しんだ女の後に、鐘を壊して富を得ようとする大勢が登場する。その順番自体が、読み返すと気になるところです。

僧たちは、とうとう鐘を丘から沼へ落として処分します。深い沼に鐘は沈み、それ自体の話はいったん終わります。ここまでで、鐘をついて壊した誰かが報酬を得た、という結果は描かれていません。

あれ、鐘がなくなったなら、おしまいじゃないの?

この疑問を持ったまま、次の段落へ進んでみてほしい。本文は、鐘の代わりになる物を使う話へ移ります。鐘という実物がなくなっても、約束を利用したい気持ちまでは消えないんだ。

物語の転換を整理するなら、紙に鏡、鐘、沼と並べて、その下へ行動する人を書いてみよう。鏡では女、鐘では僧と群衆、沼へ落とすのは僧たち。中心にある物が変わると、誰が動く話なのかも変わっていきます。

この整理をするのは、象徴の答えを一つに決めるためではありません。鐘が鳴るという一つの出来事の中でも、鳴らす人、止めたい人、約束をした人が違うことを見失わないためです。音だけを怪異にしてしまうと、その違いが隠れてしまうよ。

邦訳の本文で追う場合も、鐘が沈んだところで読む手を止めないでね。紹介する『怪談』は『鏡と鐘』に加え、『むじな』『雪女』なども収録する短篇集です。一話を結末まで読み、その後で場面の切り替わりへ戻る読み方ができます。

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「なぞらえる」の説明から、別の物を壊す二つの話へ進む

鐘をもうつけないなら、別の物を鐘の代わりにしたらどうか。ここから、英語本文は日本語の「なぞらえる」という言葉の説明を挟みます。

単に形が似ているというだけでなく、ある物や行為を別のものの代わりと考え、宗教的・魔術的な結果へ結びつける考え方として、語り手が説明している部分です。急に話が脱線したように見えても、後の出来事につながっています。

本文では、寺を建てる代わりに小石を供える例や、経典を収めたものを回す例などが挙げられます。その考え方について語り手がどう紹介しているかを読むところで、記事として現実の功徳や効果を保証するものではありません。

続いて、呪術の例にも触れた後、鐘の代わりの物を壊す話へ戻ります。ここでは行為のやり方をまねる必要はないよ。何かを別のものと見立てる説明が、次の場面でどう使われるかを追ってみよう。

一つ目の例に登場するのは、英語でウメガエと記される女性です。連れの武士が金に困ったとき、鐘の伝説を思い出し、青銅の手水鉢を鐘に見立て、三百両を求めながら打ち壊します。

その音と声を聞いた宿の客が事情を尋ね、実際に三百両を与えます。ここ、受け取ったという結果だけでなく、誰が渡したかを見てね。本文に出てくるのは、事情を知った宿の客です。最初の鏡の女の霊が、その場へ姿を見せて金を渡した、とは書かれていません。

なるほど。伝説の通りに奇跡が起きた、と一息でまとめる前に、人が話を聞いて贈ったという出来事があるんだね。女が見立てをしたことと、その後の具体的な贈り主を分けると、場面をそのまま追えます。

その後、同じ幸運にあやかろうとする人々が現れます。二つ目の例で出てくるのは、財産を使い果たした農夫。庭の泥で鐘の模型を作り、大きな富を求めながら壊します。

前の女性の青銅の鉢に対して、今度は自分で作った泥の鐘。似たように代わりの物を壊しているけれど、材料も状況も違います。ここから同じ結果へ進むのかと思わせる並びだからこそ、次に何が出るかが気になるんだ。

農夫の前には、白い衣の女が姿を現し、蓋のある壺を渡して消えます。最初の例では実際の客が金を贈り、今度は不思議な女が物を持ってくる。贈り主の現れ方が違うことも、二つを並べると分かりやすいよ。

この二例を、「同じことをすればお金が手に入る」という成功談にはしないでおこう。二つ目の壺を開けた後の扱いまで見なければ、この短篇がどこへ向かっているかはまだ分からないからです。

同じ収録作品でも、訳語や言葉の調子は邦訳によって異なります。今回は英語の場面を根拠に筋を整理しています。日本語で読みたいなら、訳者名を合わせて『怪談』を選び、見立ての説明から二つの例へ戻るところを追ってみてね。

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重い壺の中身は、名指しされない。語り手が止めるところまで読もう

農夫は壺を家へ持ち帰り、妻と一緒に開けます。壺は重く、中身が縁まで詰まっている。お金を願っていた人に重い容器が渡されたら、期待が大きくなりそうな並びだよね。

ところが、本文は中身の名前へ進みません。途中で区切れ、語り手が、何が入っていたかはとても言えないという意味の言葉を置いて、話が終わります。

題名にあるのは鏡と鐘なのに、最後に開けられるのは壺。題名の二つの物から、別の物へ関心が移っていたことにも、読み終えてから気づけるね。

そこで止めるの!?

この一言のために、読者は中身を知ったことにできないんだ。金貨だとも、特定の汚物だとも、本文は名指ししていません。あらすじで具体的な物の名前を見かけたら、それがこの原文にあるのか、解釈や別の再話なのかを分けて見てみよう。

ただ、何も書かれていない終わりではありません。富を求めたこと、重い壺を喜んで持ち帰ったこと、妻と一緒に開けたこと。その期待が積まれた後で、語り手が説明を拒む。この順番によって、単なる中身当てとは違う読み方ができます。

語り手の止め方から、不快なものや、期待と正反対のものを想像する余地はあるでしょう。でも、想像する余地があることと、正体が確定していることは別です。読んだ自分が何を連想したかは、自分の読みとして残しておけばいいんだよ。

一つ前の女性には、三百両という額と、贈った人が示されていました。農夫の方には、壺の重さや開封までの動きはあるのに、中身の名前がない。似た行為の後に来る二つの結果が、同じ書き方をされていないのが面白いところです。

戻って読むなら、鏡が溶けなかった部分、鐘が壊れなかった部分、壺の中身を語らない部分に印をつけてみよう。最初は材料が期待通りにならず、次は鐘が群衆の思い通りに壊れず、最後は説明が読者の欲しいところまで届かない。三つは同じ出来事ではないけれど、思うように進まないところを並べる視点になります。

この読み方も、作者がそう設計したと証明するものではありません。どの場面で自分の予想が変わったかを、本文へ戻って確かめるための提案です。幽霊の正体や象徴の正解を一つに固定しなくても、物語の動きは追えるよ。

なお、原文には、語り手が実際の寺で奉納された鏡を見たという括弧書きもあります。それは八雲の語りの中の観察です。この記事を書いた人の見聞へ移したり、女や農夫の出来事が歴史的事実だった証拠にしたりはしません。物語、語り手の注釈、読む側の解釈を分けて楽しもう。

紹介した紙の本は、ラフカディオ・ハーン著、南條竹則訳、光文社古典新訳文庫『怪談』。出版社の案内で2018年7月11日発売、ISBN9784334753801と確認できます。別の訳者による『怪談』や、同じ題の別著者の作品を買わないよう、著者と訳者も照合してね。

出版社の目次には『鏡と鐘』のほか、怪談の各短篇と、蝶・蚊・蟻を扱う「虫の研究」もあります。鏡と鐘だけの一冊ではないので、ほかの話にも進みたいか、目次を見て選べます。価格や送料、紙・電子の別、在庫は購入時の掲載で確認してください。

最後の壺には、結局何が入っていたのか。そこは、言わないという終わり方のまま受け取りたい。気になって戻ったときには、もう中身だけでなく、鏡を惜しんだ女と、鐘を鳴らし続けた人々のことも目に入るはずです。

鐘が沼に沈んでも、話は終わっていなかった。その続きにある、期待させてから言葉を止める一瞬まで、ゆっくり読んでみてね。

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この記事を書いた人

うわさと事実を分けながら、都市伝説の由来や文化的背景を調べて紹介する編集部です。

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